路上文学賞は2010年、2011年、2013年、2015年と過去4回開催され、延べ100以上の作品が集まりました。現役のホームレス生活者のみならず、経験者やネットカフェ難民、施設で生活を送る方まで様々な方々から応募頂きました。路上体験を赤裸々に描いたエッセイから、妄想豊かなロマンスまで刺激的な作品が多く揃っております。
「路上」という誰もが存在を許される場で、「文学」を通して普段あまり関わることのない人々の感性に触れてみてください。
※過去の受賞作品一覧(最新の作品から順次公開予定)です。
作品名をクリックすると実際の作品(PDF)をご覧いただけます。
作品の取り扱いについては以下の通り定めます。どうぞご協力をよろしくお願い申し上げます。
Ⅱ) 作品についてのお問合わせはContactからご連絡下さい。
第1回‐4回 受賞作品全集【冊子印刷用】
過去4回に渡り行われてきた路上文学賞の受賞作品を一つの作品集としてまとめました。この作品集は2015年に行われたクラウドファンディングにより多くの方にご協力頂いた賜物です。改めて皆様へ感謝申し上げます。
なお、第3回と第4回の賞受賞作品につきましては、下記受賞作品一覧の作品名をクリックすることでもご覧頂けます。
また、第3回と第4回のすべての応募作品をオリジナル原稿のまま掲載しています。最後に選者、星野智幸氏のコメントも入っていますので、あわせてご覧ください。
第4回(2015年10月)
受賞者名 | 作品 |
川岸生男 | 第4回大賞_ネコと一人の男と多摩川 |
受賞者名 | 作品 |
雀遊 | 春子さん物語 |
河野開司 | 東京路上生活マニュアル2〜マイナンバーをぶっつぶせ〜 |
コスモポリタン ロッカリアン | 海外でもホームレス |
尾崎日菜子 | 蜂蜜の海を泳ぐ |
けんいち | 無題 |
第4回路上文学賞 応募作品
受賞者名 | 作品 |
猿橋大而 | 無題 |
あいり | 無題 |
ノリトミツ | 「その汽車に乗って」 |
Mr.こうえん | 「ひだまり」 |
Fura | 「アキノマド」 |
小山正平 | 「手紙」 |
トラ・トラ・トラ | 「ホームレスになってみてわかること」 |
山東ゲリラ | 「宇宙人ホームレス現わる‼︎」 |
HIROSHI | 「僕のひとりごと夢のつづき」 |
嘉大神 | 無題 |
秦郁夫 | 「雨、死ね」 |
か奈こ | 「DUSTBOX」 |
吉澤豊二 | 「今でしょう」 |
高橋美智子 | 「オフクロとオレ」 |
サイヤ人 | 「路上からの大逆転!」 |
高野努 | 「ホームレスから立ち直った僕の話」 |
蔵井不破人 | 「スチールバディ」 |
5月のてんとう虫 | 「第1問」 |
坂田俊彦 | 「人生に失敗しちゃったおじさんの話聞いてくれますか。」 |
坂田洸一 | 「老人ホームの慰問/二十六日の空白」 |
椙田(すぎた)恭 | 「葬列」 |
栗本(玉置)世士 | 無題 |
田中義之 | 「無限+1」 |
今回の応募総数は29作品でした。前回以上に印字での提出が多く、平均年齢も若くなっている印象です。手書きにしても、丁寧に清書された作品が大半で、意気込みがびんびんと伝わってきました。今回の大きな特色としては、フィクションの作品が大幅に増えたことが挙げられます。ご自身の体験や願望を小説として書いたもの、SF、寓話、ロマンス等々と、多彩でした。小説家の私としては、やはり楽しかったです。
選考の基準はこれまで通り、どこまで他人の顔色をうかがわず、自分で手応えを感じる言葉を発することができたか、自分なりにどこまで突き詰められたか、です。候補作の平均レベルが高いのも、今回の特徴でした。このため、選考はとても難しかったです。どれが大賞になってもおかしくない作品が複数、ありましたし、佳作にしたい作品もいくつもありました。大変悩みましたが、最終的には大賞は川岸生男さんの、多摩川村の日々の生活を描いた『ネコと一人の男と多摩川』に決定しました。
この作品の美点は、その丁寧な描写にあります。河川敷で暮らす人たちなら共有するであろう出来事が、細かく生き生きと描かれていて、その世界にどんどん引き込まれていきます。後半で起こる出来事はとても重いですが、ことさら悲劇を強調するのではなく、淡々と丁寧に描いてあるだけに、現実として強く迫ってきます。多くの「非路上生活者」がなじんでいる川原の光景には、こんな日常がじつは存在していて、ただ人々の目には見えないだけなのだということが、生々しく感じられます。
佳作ですが、路上文学史上初の連続受賞となった河野開司さんの作品は、続編とも言える『東京路上生活マニュアル2~マイナンバーをぶっつぶせ~』。前回以上の批評性と諧謔をお楽しみください。コスモポリタン ロッカリアンさんのノンフィクション『海外でも ホームレス』は驚愕の作品です。人生観、変わります。振り込め詐欺を描いた雀遊さん『春子さん物語』は、ラストで驚くでしょう。『俺俺』の作者としては、「やられた!」としか言いようがありません。性とジェンダーをテーマとした尾崎日菜子さん『蜂蜜の海を泳ぐ』は、本格的な純文学小説まであと一歩というレベルの作品です。これも路上文学賞の作品としては初めて登場するタイプでしょう。深く読み込んでみてください。けんいちさんの作品は、真面目さ誠実さがにじみ出ています。特に数字の記憶には驚かされます。記憶に忠実になると、時空が自在になるのですね。
さんざん迷った末に選に漏れ、受賞に至らなかった作品も、どれもかけがえのない書き手の今があふれ出ていて、迫るものがありました。ですから、各作品は短いけれども、1日で読める作品の量は限られます。1作品1作品を受け止め、飲み込み、消化すると、数作品で飽和するからです。この、多くの視界に入りはしないかもしれない人生の重さを、たくさんの読み手の方に、噛みしめて読んでほしいです。
これから、たとえ反応がじかに示されなくても、これらの作品は想像以上にたくさんの人に読まれるでしょう。読み手の人は、感じるところがあったら、どこかでそれを言葉にしてみてください。書き手は、書いたことに何らかの手応えを感じたのなら、書き続けてください。(2015.11)
第3回(2013年3月)
受賞者名 | 作品 |
鳥居 | エンドレス シュガーレス ホーム |
受賞者のコメント
あなたの周りに、あまり使われていないロッカーはありませんか。
あなたは、そのロッカーを開けてはいけません。
その中には 硬く、息を殺して立ち続けている人が います。
——————————
◆鳥居(とりい)
小学校中退、虐待、親の自殺、ホームレスを経験
◆ブログ・ツイッターは「鳥居 歌人」で検索
受賞者名 | 作品 |
河野開司 | 東京路上生活マニュアル |
ゆういくお | 外苑前であいましょう |
玉置世士 | 無題 |
新井将 | 父の死、その時母は…… |
高橋美智子 | 息子と私とホームレス |
第3回路上文学賞 応募作品
受賞者名 | 作品 |
にん | 無題 |
快隠 | 釜ヶ崎あらくれ |
石丸英秋 | リターン |
西川正浩 | 『酒場で』 |
北海護 | 幸は努力なくして叶わない |
佐藤明男 | 河川敷停留所-バスはきません |
管財弥千王 | 新宿の駆け込み寺 |
ジョニー | 住吉公園のおにぎり |
山の奥 童人 | 虹色の妖精 小夢ちゃん |
小西六 | クロさんの花売物語り? |
石川 | 無題 |
福呼巫天風 | 野花のように |
朽木建 | スパイラル |
中野マリ子 | 恋する いのち |
大友雅之 | 支援 |
小っちゃいおっちゃん | 私と祭り |
井上圭一 | 長いマフラー(白とブルーのストライプ) |
つり男 | 俺の好なつり |
嶋岡弘 | 僕のひとり言 夢 |
秦 郁夫 | 天皇陛下 |
定食亭定吉 | あて名のないメッセージ |
KK | 「ホームレスからの脱却」(自分を変える) |
仙台太郎 | ロトセブン 当たる確立 活断層 |
浜田喜生 | 定時制高校の思い出 |
川上信一 | しあわせのレシピ |
中村一男 | 椿の人生どうなってしまったの |
言葉ひとつでこの世と渡り合う
今回の応募作は総数 33 作品でした。1 人 1 作品なので、33 人の方が応募してくれたことになります。
大きな傾向としては、以下の4 点が挙げられます。
1. 応募作の大半が自分史だった。
2. きれいな原稿が多い。清書してあるということ。それだけ、作品に手間暇をかけたということ。
3.「母」をテーマにした作品がとても多かった。
4. 印象に過ぎないが、若い書き手が多いと思われること。
いずれも、前2 回とは違う点でした。
自分史が多いことは、私に選考の苦悩を強いました。どの方の人生も、それだけの重さを持ってずっしりと私に迫ってきます。その内容で受賞作を選ぶことなど、私にはできません。どんな人生であれ、本人にとっては逃れられるものではなく、愉快であろうが悲惨であろうが、価値は変わりません。人生に優劣や貴賤はないのです。ですから、受賞作に選ばれたかどうかは、作品に書かれた人生の善し悪しではないことをここで明言しておきます。選に漏れたからといって、その方の人生の価値が低くなるのではありません。
選考の基準となったのは、
1.どこまで他人の顔色をうかがわずに言葉を発することができたか。
2.文学作品としての完成度を持っているか。
です。これは前2 回の選考基準と変わりません。
大賞受賞作、「エンドレス・シュガーレス・ホーム」は、この両者を高いレベルで満たしていると思いました。
選考に当たっては、作者の鳥居さんの生い立ちは読まず、まず作品だけを読みました。その段階で、この人は言葉だけを命綱として生き、言葉だけを武器として世と渡り合い生き延びようとしている、と感じました。それほど、鳥居さんの言葉は強いものです。単なる学校時代の苦痛の体験を詩的な言葉で美しく描いた作品ではありません。言葉だけでもって独りで世界と対峙しようと腹をくくった、凄みのある作品です。
それは特に、最後の一連の言葉に表れています。この世への強烈な拒絶と、ありうべき世界を言葉で構築しようとする意志です。最終的には、鳥居さんのインタビューが掲載されている「不登校新聞」を読み、実際に凄絶な少女期を送ってきたことを知りましたが、この作品の価値は、そのような人生の内容以上に、書き手の意志と言葉にかける姿勢にあります。
1の姿勢が際立っていたのは、玉置世士さんの作品です。この言葉の強さ真摯さは、読む人の気持ちをいろいろな形で揺るがせるでしょう。
やはり畳みかけるような言葉で心を揺さぶるのが、高橋美智子さんの「息子と私とホームレス」です。おそらく、前回の川柳部門の受賞者の方だと思いますが、この作品でも私は胸を衝かれました。でもそこにユーモアもあって、だいぶ笑いもしました。
これも母をテーマとして、母の凄みを帯びた一瞬が描かれるのが新井将さんの実録風タイトルの「父の死、その時母は……」。語り口が達者で、魅力的でした。最後の言葉が切ないです。
応募作の中で、紙芝居をのぞくと唯一、一人称で書かれた「自分語り」ではなく、架空の設定でフィクションを書こうとしていたのが、ゆういくおさんの「外苑前で会いましょう」でした。結末に至るまで、しっかり架空の設定の小説を作りきろうとしていて、でもその中で自分の人生が抱えているであろうテーマが展開されており、好ましく感じました
路上生活のススメ、と呼んでもよいような河野開司さん「東京路上生活マニュアル」は発想の転換が決め手でした。路上を、案外生きられる場所として肯定的に描いてみるこの視点は、とても貴重に思えます。
広い意味で路上に生きる者が、肩身の狭い思いをさらに強いられ、言いたいことを言ったら存在を抹殺されそうな恐怖を感じる今の時代に、何とか言葉を発しようとした書き手の皆さんの勇気に、私は敬意を抱いています。願わくば、さらに思いきって、人の視線を気にせずに、この路上文学賞では言葉を発していただければ、と思います。(2013.4)
第2回(2011年9月)
文学部門
受賞者名 | 作品 |
川端欽二 | ホームレスギャンブラー |
受賞者名 | 作品 |
中野マリ子 | きみちゃんの夜明け |
小杉博 | 無題 |
鈴木太 | ガリとカラスと鳩 |
佐藤寿雅 | 野良人の果て |
受賞者名 | 作品 |
MAY | ねこ |
井上登 | 1974年大阪駅構内の手配師による半タコ部屋 |
岡山秀孝 | 自信をまつ |
川崎重行 | 死の寸前までいった |
大友雅之 | ホームレスとゴミ |
神四朗 | 遠い夏の日 |
川柳部門
受賞者名 | 作品 |
T子 | 夕暮れに 懐かしき異 思い泣く 他 |
受賞者名 | 作品 |
昇龍 | たかが一人 されどとおとき 人のいのち 他 |
受賞者名 | 作品 |
西口 | わが人生 花火に例えば 湿気ってる 他 |
南政治 | あわれさを 舞うても秋の 蝶々かな 他 |
誠実な無頼派の物語
今年も路上文学賞を行うことができました。震災の影響で延期していたのですが、予定より半年遅れの10月に選考を行いました。
第2回目はなんと昨年の倍以上の応募数で、文学部門が40本近く、川柳が30人弱。しかも昨年以上に力作ぞろい。こちらも一作品一作品、全力で読みコメントしますから、格闘技の決勝を60回戦ったぐらい、へとへとになりました。いやあ、心地よい疲労でした。
その中で大賞を得た、ペンネーム川端欽二さんの「ホームレスギャンブラー」。
タイトルを見たときから、「これは不穏だな」と予感がし、読み終わったときには、最有力候補となっていました。「釜ヶ崎の朝は早い」から始まる序盤は、釜の朝の情景がやや文学的に描写されながら、語り手がギャンブルで身を滅ぼして路上に出るくだりが説明されます。しかし語り手は、厳しい生活を強いられながらも、ギャンブルの楽しみはやめません。
「スミノエ競艇場。メッカである。」といよいよ本題に入る中盤からは、語り手がいかに緻密な分析に基づき大穴を当てたかが、詳細に語られてゆきます。はっきり言って自慢だろ!とツッコミながら、私は読み進めます。競艇の専門用語だらけで、素人にはちんぷんかんのところも多々あります。にもかかわらず、競艇に興奮しつつある私がいる! まるで冒険小説のようにスリリングなのです。語り手が「しかしここは行かなければ、あなたが行かなければ誰が行くのだ」と心の中で呼びかける場面には、私も拳を握って「そうだ、そうだ!」。みごと勝った後は、競艇場近くのスーパー銭湯でビール。語り手と一緒に、私まで至福の時間を味わいました。そして、全編からにじみ出る、釜ヶ崎への愛。これは深い釜ヶ崎論でもあるのです。
ある意味で、この姿は釜ヶ崎周辺のホームレスの典型のひとつでしょう。これを読んで、やっぱりギャンブルで破滅して路上生活してるんだから自分の責任じゃないか、と思う方もいるかもしれません。
しかし、そう思われることなど構わず、自分の愛するギャンブルを心ゆくまで描き切った書き手に、私は敬意を表したい。ここに書かれているのは、当事者のナマの声です。いや、それ以上です。ここには、生きることの歓びが書かれている。ギャンブルが善か悪かといった地平を超えて、生きている実感が読む私に伝わってきます。
佳作以下の受賞作10本(いい作品が多くて、受賞作が増加)も、じつに魅力に富んでいます。路上生活者のあり方を路上から考察したエッセイ、日々食べ物を入手することで精一杯な様子を叙情を排した言葉で淡々と綴るミニマリズム的な作品、待望の、女性の手による童話、無頼な転落人生を語った自分史。
川柳部門の大賞は、T子さんの、家族を詠んだ一連の句。年配の方と思われますが、かつて亡くした子どものことを幾度も歌い直されている。何度言葉にしても言い表せない感情を、それでも言葉にしようとする姿に胸を打たれました。理不尽な死を身近に体験した方なら、誰もが抱え続けざるをえない気持ちだと思います。
これだけの数が集まった理由は、まず、ビッグイシューを始めとして、さまざまなホームレス支援団体のご協力をいただけたことです。ありがとうございました。
それから、路上編集者の活躍です。路上の書き手たちとやりとりするには、現場へ赴くしかありません。書き手たちをその気にさせ、締切までに原稿を仕上げてもらうという、ヘビーな任務をこなしてくれた路上編集者の熱意が、力作群を生んだ原動力の一つでした。来年も予定しているので、さらなる路上編集者を募集しております。
第1回(2010年)
文学部門
受賞者名 | 作品 |
小川武志 | ココロ/キセキ |
受賞者名 | 作品 |
水田孝行 | 3度の殺人事件より守られた、神に選ばれた男 |
受賞者名 | 作品 |
自由が丘の自由人 | 私が桜だったら |
受賞者名 | 作品 |
由井健介 | 明日は、どっちだ!? |
平川収一郎 | ドラえもんに出会ったら |
田中征 | 私のビッグ・イシューの2年間 |
高口 | ロマン・ティックな愛 |
川柳部門
受賞者名 | 作品 |
三井辰郎 | 生保でも 競馬に負けたら 炊き出しへ |
受賞者名 | 作品 |
自由人 | さくらちる わたしはちらぬ いきるため |
受賞者名 | 作品 |
日高進 | 雨降って 立つか立たずか 財布見る |
澤本 | 春うらら イシュー片手に ゆめうつつ |
末広聖一 | ホウムレス おれはならんと おもったが |
高口 | 愛は真ん中に心があるから恋心 恋は下に心があるから下心 |
どの作品も読んでいて楽しかったです。なので、その中から受賞作を選ぶのは難しかった。どれが受賞作であってもおかしくはありませんでした。
何よりも私が心動かされたのは、皆さんが自分の土俵の上で書いたことです。ともすると、読む側の人たちにすり寄って、読む人の土俵(常識)に立って書こうとすることが多いのですが、皆さんは自身の日常を、自分にリアリティのある言葉で書こうと努めていました。だから、こちらに何かが伝わってきたのだと思います。
例えば、川柳で正賞を受賞した「生保でも 競馬に負けたら 炊き出しへ」なんかは、「生保」が何だかわからないと、意味が通じません。「生保」は「生命保険」ではなく「生活保護」だと、註がついています。これはいわば、路上の「業界用語」です。この言葉を使うことで、路上で日常生活を送っている書き手は、自分の実感を表現できるのです。「生保」という言葉を使わず、路上生活者ではない人たちの言葉に置き換えたら、この川柳はたちまち生命力を失って、ただの状況説明になってしまいます。
もちろん、「業界用語」を使いすぎると、内輪にしか通じなくなるという危険もあります。仲間内にだけわかればいいや、という意識で書くと、そうなります。でも今回の応募作はどれも、見知らぬ人に届いてほしいという気持ちが込められているから、内側の言葉が外へ向かって歩き始めているのです。大げさに言えば、それが文学です。
文章は正直なので、どの作品にも、書いた方の人生や人柄が、かいま見えました。思わず、私自身が自分の生き方について考え込むようなこともありました。はっきりと感じたことは、誰の人生も重みは同じだということです。
書くことは楽ではありませんが、必ず夢中になれもします。そして、書かなければ、読まれません。つまり、伝わりません。今回があまりに面白かったので、2回3回と続けていきたいと、私たちは思っています。路上の言葉をもっとちまたに氾濫させましょう。