私たちの志

「路上文学賞」が目指していること

路上文学賞は、ホームレスの人たちが書いた文学作品を対象とした賞です。

2010年に写真家の高松英昭と作家の星野智幸らが立ち上げました。過去三回にわたり文学賞を開催し、計100作品以上の文学作品が路上から生まれました。

一般の文学賞は受賞作を世に出すことを目的としていますが、路上文学賞は、書いた作品をできるだけ広く読んでもらうことを目指しています。

その狙いとするところは、以下の2点です。

1.ホームレス状態にある人は、常に他人の目を恐れながら生活しています。ですので、外に向かって話すとなると、えてして、一般に流通する「ホームレスのイメージ」を裏切らない物語をしてしまう傾向があります。

路上文学賞では、自分の生活や考えていること、空想することなどを、自分の言葉で語ってもらいたいと思っています。「自分の言葉」とは、自分が日常で使っている言葉、自分の生活や人生を表すのに、自分がリアリティを感じる言葉です。

路上には路上の日常生活があります。それを自分の言葉で書けたとき、書き手は普段とは違った充実を感じることでしょう。

2.書いた人と読んだ人、さらには賞を運営した人が、立場を離れて楽しめるお祭り空間を作り出すこと。

書くという行為は、自分から一歩外へ、自分の圏外へ身をさらすことです。読むという行為も、自分から一歩外に出て、他人の圏内に少しだけ巻き込まれる行為です。どちらも、自分の外に出て、誰のものでもあり誰のものでもない同じ地平(=路上)で、少しずつ歩み寄り、言葉をつながりにして他人と関わる。それはすなわち、誰もが表に繰り出し立場を越えて入り乱れるお祭りである、というのが私たちの考えです。

最終的には、書き手も読み手も携わった人みなが参加者となって、非日常的な楽しさを味わえる祝祭的な催しとなることを目指しています。路上にいる人が書くというだけでなく、路上的な場に人々が飛び出して開かれるお祭りという意味も込めて、「路上文学賞」と命名しました。

 

自分の言葉で参加する路上の祭り-選者・星野智幸

プロの書く文学作品とは別に、私は誰でも文学作品を書くことはできると思っています。

文学作品とは何でしょう?

公式的な定義はいろいろありますが、私は、深いレベルで、言葉によって人と交わることだと考えています。深いレベルとは、その人の存在の核となる部分を理解し合うレベルです。

そのためには、自分の書く言葉が、自分にとって実感のあるものでなくてはなりません。読む人に合わせすぎて、相手に受けるようにばかり書いてしまったら、それは他人の言葉であり、他人の物語です。

ホームレス状態で生きる人にも、日常の生活があります。ホームレスにはホームレスなりの常識や共通認識、世界観があります。それを、自分たちに実感のある言葉で書くことができれば、言葉自体はつたなくとも、まごうかたなき文学作品となります。むろん、あまりに独りよがりな言葉で書いたら、まったく通じません。自分の言葉からスタートして、少し、相手の言葉に歩み寄るのです。

私は、多くの人に、そのような言葉を書けたときの充実や歓びを知ってほしいのです。それは自分を自分で認める歓びです。また読み手が、自分の常識をとりあえずおいて、自分たちに見慣れない言葉を読むことで路上の世界の感触を知るとき、純粋な驚きを感じるでしょう。それは世界が広がることの驚きです。

そもそもの発端は、写真家の高松英昭と私がともに携わった写真集『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス刊)の印税を、路上の人たちと一緒に楽しめる形で使いたいという思いから始まった企画です。ですから、手作りであることも、欠かせない要素です。スタッフの中には、路上の人たちを鼓舞し、原稿を取ってくる「路上編集者」もいます。すべてが、きわめて真剣な遊び心に満ちたお祭りなのです。

ぜひとも、書き手としてであれ、読み手としてであれ、路上編集者としてであれ、参加して楽しんでもらえればと願っています。

星野智幸 (小説家)
1965年米国ロサンゼルス生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2 年半の新聞記者勤めを経て、2年のメキシコ留学。1997年、『最後の吐息』で文藝賞を受賞してデビュー。2000年『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、2003年『ファンタジスタ』で野間文芸新人賞、2011年『俺俺』で大江健三郎賞、2015年『夜は終わらない』で読売文学賞を受賞。他の作品に、『ロンリー・ハーツ・キラー』『われら猫の子』『無間道』など。